うまい日本酒を造る条件として「よい米」・「よい水」・「よい技」の
3拍子が揃っていることが必要条件として挙げられる。
それとともに豊かな食文化と伝統を受け継ぐ郷土料理が育ち、個性ある岡山の酒が育てられてきた。
歴史的には、岡山県は「備前」、「備中」、「美作」の三国からなるが、
食文化を考えるとき、地形の上からは、県北の中国山地、県中部の吉備高原、県南の平野・丘陵地帯で
食文化の違いなどが酒の味にも影響している。
岡山県の地形は、北部には中国山地によって山陰と隔てられ、瀬戸内海に面した南部は東より吉井川、旭川、高梁川の三大河川の堆積作用によってできた岡山平野がひろがっている。
堆積面積1500㎡以上の一級河川の河口を3本以上もつものは北海道を除けば岡山県の他はなく、水稲耕作や産業の集積に不可欠な水資源に恵まれている。
また県中北部には、中国地方最大の盆地の津山盆地のほか、美作、勝山、新見の盆地列が並び、その南部に標高4~500mのなだらかな吉備高原が広がっている。
このように岡山県は、概して高くて険しい日本的地形の最も少ない恵まれた地域といわれている。
温暖な気候と恵まれた風土を背景に、古くから北部の中国山地から吉備高原そして肥沃な南部の平野で多彩な岡山米が育っている。
すでに9~11世紀頃には米を持って名を得た国として備前、備中、美作があり、18世紀初期には大阪諸蔵米の中で備前米の名声は特に高かった。
明治以降、岡山県を酒米産地としての名声を不動にしたものに代表的な酒造好適米である「雄町米」の存在がある。
雄町米は安政6年に現在の岡山市高島雄町生まれの岸本甚蔵が発見し二本草と名付けたが岸本が住んでいた雄町が略称となって今日に至ったものといわれている。
岡山の酒については、「万葉集」に“吉備の酒”を詠んだ歌があるほどである。
また、「歌林捨葉集」には“吉備の豊酒(とよざけ)”の記述もある。奈良時代の書物「播磨風土記」には、三備(吉備)の国が、古代における米酒の発祥地であり、また、美作とは“うまさか”の訛りからできたもので、それは“うまい酒のできる国”という意味であるとの記述があるように吉備の国がいかに古くから美酒を醸したかの一端がうかがわれる。
岡山城を築いた宇喜多直家は酒造統制上、岡山城下へ酒屋の移住を計っており、また、近世に至り京都でもてはやされた“児島諸白”は、かっての児島郡郡村(岡山市郡)の酒である。徳川幕藩体制が進むにつれて、県下各地に酒屋が増え、備中杜氏も元禄年間には既に活躍した記述があり、以降は幾多の変遷を経て今日に至っている。
近年、岡山県内の酒造場数は減少しているが、それでも数の上では全国的にみて上位を占めている。